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和製ジャズ温故知新.6/進駐軍JAZZ

1945年の終戦とともに、今まで敵性音楽として禁止されていたジャズ
が演奏されるようになる。

終戦とともにGHQ(連合国総司令部)の指導のもと、翌年から音楽放送も始まる。
ここが大事なところで、戦争に敗れた日本は米国の指導のもと、ジャズを始める
のである。
「ニュー・パシフィック・アワー」というタイトルで松本伸の率いる
「ニューパシフィック楽団」が登場する。この楽団には後に自分のバンドを
持って活躍した、渡辺 弘、菊池滋弥、谷口又士、飯山茂雄、ジミー原田
森山 久等そうそうたるプレイヤーで編成されていた。
このメンバーはいずれも戦前、戦中を通じスタープレイヤーとして名を馳せた
メンバーばかりである。
この当時の多くのメンバーは、軍楽隊出身でクラシックやマーチをたたき込まれた
腕をジャズに切り替えて演奏を始める。
軍楽隊出身には、シャープ・アンド・フラットの原信夫、ニューハードの宮間利之等
のビックバンドのリーダーをはじめ、テナーサックスの尾田悟、トランペットの松本文男、
サックスの宮澤昭がいる。
このグループ(アズマニアン)にはジョージ川口、松本文雄(ミュージックメーカーのリーダー)
南里文雄等も参加している。

当時は日本のレコード会社はジャズやポピュラーの輸入盤の発売をGHQより規制され、
進駐軍のラジオからのジャズ、ポピュラー・ソングやダンス・ミュージックは
聴くことは出来ても、闇取引以外に外国のレコードの入手は困難で、進駐軍の
キャンプや許可された劇場以外の場所での外国ポップスを演奏したり、唄う事は
禁じられていたのである。

そのようなことで、もっぱら進駐軍の基地の中のクラブでジャズは演奏され、
東京、新宿、立川、横浜等、キャンプ地の駅周辺には米軍キャンプの仕事を求めて
ジャズメンが集合する。
その中には、ジョージ川口(ドラムス)、世良譲(ピアノ)、松本英彦(テナーサックス)
鈴木章治(クラリネット)笈田敏夫、ペギー葉山、ナンシー梅木、江利ちえみ、雪村いずみ、
伊東ゆかり、フランク永井等、皆駐留軍のキャンプ廻りから育ってゆく。
この時期、米国ではビーバップ全盛の時代だが戦争で鎖国をしていた日本には
新しいジャズの息吹は入ってきていない。

こうして戦後のジャズ・シーンの幕が開いてゆく。
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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2005年・サミーネスティコとの出会い.2

夢のようなクリニックを経験したジュニアジャズメンバーは
マエストロとの共演コンサートに望む。

マエストロに聞いてみると、全世界でジュニア世代との共演をしているとのこと。
指導者として気になるのが、ここのジュニアジャズは「どのレベルにあるのか」
ということである。 

下世話的な事なので、恐る恐る聞いてみると、「このグループは音楽に向かう
姿勢が非常に良い。また、出しているサウンドは世界のどこと比べても遜色
ない」
と言う。

このグループは月1回しか練習しないというと、驚嘆した表情を浮かべ
何か魔法を使っているのかという。

私自身そんな魔法があったら教えてほしいものだ。
このグループの特徴は吹奏楽をベースにしたブラス主体の
巨大なビックバンドである。
コン.3.1
この月1回しか練習しないグループを活動を可能にしているのが、
豊富なゲスト演奏家との共演によるものだろう。

チック・コリア、ジョバンニ・イダルゴ、エド・シグペン、
エリック宮城、向井滋春、土岐英史、海老沢一博他数えきれない
ゲストのオーラを浴びている子供たちである。

そしてサミー・ネスティコとまで共演してしまった。
当の子供たちはマエストロのジャズの功績など知らず
嬉々としてジャズを楽しんでいる。
コン.1.1
本当の教育とは、本人の自覚のないうちに行われるものなのかもしれない
と思う。
サミーネスティコと共演してから、7年が過ぎようとしているが、
その光景と与えてもらったものの大きさは、増すばかりである。

2012年11月11日マエストロの88歳を記念したコンサートを開く。
コンサートでは2005年に直接指導を受けた、子供たち(もう
良い大人になった)も参加する。
あらためてマエストロ サミーネスティコに感謝である。
コン.2.1
      超満員の聴衆から喝采を浴びるマエストロ。
以下2006年に続く。
2005年の共演者
 ●11月第5回JMIAジュニア・ジャズオーケストラクリエイティブコンサート。
    共演:サミーネスティコ、エリック宮城、近藤和彦、守屋純子、岩瀬立飛、渡辺 亮


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和製ジャズ温故知新.5/音楽の鎖国

日本では音楽の鎖国という時期がある。

1940年~1945年(終戦)までである。
正確には、1942年から1945年までである。

この時期、政府情報局を通じ、以下のような文が発せられる。
「大東亜戦争(太平洋戦争のこと)もいよいよ第二年を迎え、今や国を挙げてその総力を
米英撃滅の一点に集中し、是が非でもこの一戦を勝ち抜かねばならぬ決戦の年となりました。
大東亜戦争は、単に武力戦であるばかりでなく、文化、思想その他の前面に至るものであって
、特に米英思想の撃滅が一切の根本であることを思いますと、文化の主要な一部門である
音楽部門での米英色を断固として一掃する必要のあることは申すまでもありません」

簡単に言うと、戦争も終盤にかかり戦局が悪いので総力戦のため、文化、特に音楽の
規制をする、というもの。

さらに、
「演奏を不適当と認める米英音楽作品蓄音機レコード一覧表を作って、全国の関係者に
配布し、米英音楽を国内から一掃し、国民の士気の昂揚と、健全娯楽の発展を促進する
ことになりました」


特に敵国の米英音楽を規制するというものである。
クラシック音楽はドイツ、イタリアも同盟国なので除外されたらしい。
そして、
米英系音楽としてわが国に輸入され、また最も多く一般になじまれたものは、なんと
言ってもいわゆるジャズ音楽と民謡調の歌曲とであります。
しかし米国系音楽の代表とみられるジャズや、これに類する軽音楽の大部分は、卑俗低調で
、退廃的、煽情的、喧騒的なものであって、文化的にも少しの価値もないものでありますから、
この機会にこれを一掃することは極めて適切であり、また絶対に必要なことであります」
米英音楽特にジャズ音楽は価値のないものなので、特に規制をするというもの。

規制のリストが以下である。
「ダイナ」「私の青空」「アラビヤの唄」に代表されるジャズ音楽、「ロンドン・デリー」
「麦畑」「ヤンキー・ドゥードル」「アニー・ローリー」「アメリカン・パトロール」
「懐かしのケンタッキー」「オールド・ブラック・ジョー」「スワニー河」
「ラプソディ・イン・ブルー」「峠の我が家」「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」
「月光価千金」「セントルイス・ブルース」「南京豆売」「アロハ・オエ」その他
何ともジャズは例に及ばず、ラテン音楽、ハワイアンまで入っている。
この規制は終戦まで続くが、その後反動のようにジャズ音楽のブームが
やってくる。
なんでもありの現代からは想像できない世界の事であるが、
60数年前の日本の事である。

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ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2005年・サミーネスティコとの出会い

 2005年の出会いは何と言ってもサミーネスティコ(以下マエストロ)との
出会いだろう。

2004年IAJEから招待公演でマエストロに出会ってから
1年半後ジュニアジャズとマエストロは再会します。

マエストロの来日は後は分からないが、先には来日した事はなく
今回が初めての来日です。
1週間の滞在期間、びっしりのスケジュールの中、旭川のジュニアジャズ
と本当に心からの交流が出来ました。
クリ.2.2
50名のジュニアジャズメンバーへのクリニック光景。
マエストロの人柄から出る音楽にふれ、ジャズ知識のない子供たちでも
巨匠が持つオーラを感じるクリニックを経験し、コンサートで共演を
果たしました。
クリ.1.1 マエストロの特別クリニックを受けた
 のは後にも先にも、このジュニアジャズ
 だけです。
 そのクリニックは、大きな声でフレーズ
 を自ら歌いジャズのニュアンスを伝え
 そしてジャズの大切な構造を説明して
 いく。
 その中で「ジャズは数ある音楽の中で
 一番相手の事を考えながら演奏しなくて
 はならない」
といい、コミュニケーショ
 ンの大切さを説きます。
 そして「音を良く聞いて」とも。

当たり前と言えば当たり前の事だが、人の音を聞く行為は出来そうで出来ない。

聞かす事は簡単だが、相手に聞いてもらうことは難しい。
その事をマエストロは身を持って来日し、子供たちに伝えたのである。
その成果を表すようなコンサートは次回その.2でお伝えします。
クリ.3.1
     ゲスト講師はエリック宮城、近藤和彦、守屋純子、岩瀬竜飛






  












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和製ジャズ温故知新.4/日本初のジャズ教則本

昭和初期のジャズの資料を調べていたらこの様な本に出会った。
出版社はARS。この教則本、多分日本での初めての教則本である。
発行は昭和14年(1939年)太平洋戦争が開戦した年である。
この様な時代にこの様な本があるとは・・・。
著者は全員日本人。 各分野の精鋭と言った面々である。
ざっと見てみると、
■ジャズの歴史/服部龍太郎:作詞家、服部良一との共作も多い。
■ジャズサックス奏法/服部良一:日本を代表する作曲家
■ジャズピアノ奏法/菊池滋嗣:日本人初のジャズピアニスト
■ギター奏法/古賀政男:影を慕いて、丘を越えて知られる作曲家。
■ハワイアンギター奏法/灰田晴彦ハワイアンの第一人者。
          弟勝彦は「東京の屋根の下」で知られる歌手。
■流行歌唱法/徳山タマキ:バリトン声楽家。
■ジャズ編曲/紙 恭輔:指揮者。ジャズ、映画音楽の草分け存在。
■トーキーとレビュ概論/堀内敬三:音楽詳論の草分け的存在。
何とも日本中から分野を超えて、ポピュラーとジャズ音楽のために
共同執筆した本である。
こんな本が戦前から、あったとは嬉しくなる。
時代は戦争に向かい益々混沌とする時期、自分たちの知識と
経験を残そうとした先人の気概が見て取れる。
その中でも、声楽家徳山タマキの「流行歌の歌い方」の部分は
現代も通用する痛烈なものである。以下に。
「流行歌という名称はレコード会社が勝手につけたものであって、流行しようとしまいと
それには関係のないものである。したがって、これという唄い方もない。
流行歌は大衆のものだ。だから大衆が先生であるし、また大衆に適合した唄い方をするのが一番賢い。
しかし、その漠然とした中にも経験によって唄い方の法則のようなものが、僕たちの仲間にある。
第1.歌の歌詞をはっきりすること。
第2.誰にでもわかるように唄うこと。
第3.メロディーのクライマックスを印象的に歌うこと。
第4.芸術を第2において、その曲の気分を最大限に出すこと。
以上なような条件で唄えばよいのであるが、これが中々難しい。
第一の歌詞をはっきりさせて唄うことは簡単なようであるが、すぐにはできない。
といってあまりはっきりしすぎると、品のない、きざっぽいものになる。
流行歌には品などはいらないと思ってはいけない。
現在の流行歌には艶麗(えんれい)極まりない美しい言葉が連ねたれている。
このすばらしい詩をメロディーと共に歌うのが歌手の使命だ。詩人の気持ちを生かし、
作曲を生かしてこそ初めて、完全な流行歌といえる。」
何ともすごい言葉である。
今、鼻歌の様な歌を歌っている何も知らない、若い子に聞かせたい。
※この画像資料は上大岡的音楽生活のブログ上から提供していただきました。
 感謝です。

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ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2004年・IAJEニューヨーク招待公演へ!その.2

ニューヨーク招待公演のその.2です。

前日の全員死んだ音のようなリハーサルから、気をとり直し本番へ。
少し記憶が定かではないが、このコンファレンス3日間を通じて24時間演奏が続く。
出演団体はどのくらいだろう。100以上あるのは確実だと思う。

blog_import_50549a7aadf58.jpeg それも、フィル・ウッズの次にランディー・ブレッ
 カーが出ていたりする。
 本当に日本では考えられないIAJEはジャズの見本市
 みたいなところである。

 自分たちの演奏時間は50分。 会場はほぼ満杯。
 前列の席にはダンスカム氏が座っている。
 その隣はと見ると、何とあの編曲の巨匠サミー・
 ネスティコではないか!。

 カウントベイシーと組んでヒット曲を連発し、
一時代を築いた名アレンジャーである。
「Basie Straight Ahed」の作曲者である。このときの出会いが後の旭川への招聘につながって行く。
これはにはさすがに気が動転した。子供たちはと言えば、何も状況が分からないので呑気に
ニコニコしている。時差から少し回復してきたのかも知れない。

blog_import_50549a7c83d99.jpeg 演奏はあっという間に終わり、会場は日本から
 来たちびっ子ジャズオーケストラに多いに盛り
 上がった。
 関係者に話を聞いてみると、長年のIAJEの開催
 で日本からジュニアで参加したのは、このJJOが
 初めての事らしい。
 少し誇らしい気持ちになりました。
 この部分もう少し書きたい事もあるが、珍道中記
 の本が一冊書けるくらい色々な事があったので、
 違う機会に書きたいと思う。

※宿泊ホテル「ヒルトンホテル」内での記念写真。

この年は日本に帰ってからもう一人ドラムの巨匠「エド・シグペン」との共演
が待っている。

blog_import_50549a7e4dc0c.jpeg エドはオスカーピーターソントリオの黄金期を作った名
 ドラマーである。 その彼をデンマークから招聘して共演
 しようというもの。

 2004年当時74歳。全盛期の勢いは衰えていたが、ピーターソン
 トリオで見せたブラシの華麗な演奏は健在である。
 彼から、JJOのメンバーはジャズのリズムの極意を教えて頂いた。

blog_import_50549a7f8b6a8.jpeg 本当にうらやましいメンバーである。
 代表をしている私であるがつくずくそう思う。
 2004年は本当に嵐のような年である。

 この時期がJJOとしても一番元気があった時期かも
 しれない。この年のサミーネスティコとの出会いが
 2005年の初来日、初共演に繋がっていく。


 以降2005年へ。



■2004年の共演者
 ●11月ジャズマンス・イン・旭川2004(JMIA10周年記念事業)に参加。
 (共演:リチャード・ダンスカム、エド・シグペン、エリック宮城、土岐英史、片岡雄三、
     大石 学、岡田 勉
 ●11月第5回JMIAジュニア・ジャズオーケストラクリエイティブコンサート。
  (共演:リチャード・ダンスカム、エド・シグペン、エリック宮城、土岐英史、片岡雄三、
      大石 学、岡田 勉

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ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2004年その1・IAJEニューヨーク招待公演へ!

2004年は多くの出会いがありました。
2002年からワークショップ等で指導して頂いた、リチャード・ダンスカム氏を通じ、
2004年IAJEジャズコンファレンス・イン・ニューヨークへの招待を頂いたのです。

 2003年旭川で開催したIAJE国際ジャズ教育セミナー終了
 時、打ち上げの席上で「旭川のジュニアジャズオーケス
 トラを次回のコンファレンスに招待したい!」
と言う。
 私は社交辞令と思いながら聞いていたが、ダンスカム氏
 は「社交辞令ではないよ!」と言う。
 私はまたまた、ヒョウタンから駒。 馬の耳に念仏。
 鬼に金棒。⌒⊥⌒ゞ(>_<)( ̄^ ̄)ゞ×○△・・の状態に。
 昨年からといい、話がうまく出来すぎている。
 こんなに良い事ばかりが続いたらその後が怖い、などと
 思いたくなる。
 ダンスカム氏の一言で招待公演決定!となり、大急ぎで
 準備に入る。これが2003年6月の事、公演は2004年1月
 である。半年あまりしかないではないか。


子供たちに話すと??嬉々として喜んでいるが、事情とどれだけ大変な事かが全く分かっていない。
状況は親に話しても同じである。 子供は修学旅行、親は観光旅行と勘違いしている。
 こちらにいる時は気がつかなかったが、IAJE総裁の
 リチャード・ダンスカム氏がどれだけ大変な人かは、
 米国に行って初めて気付く。 言ってみれば、ダンスカム
 氏は全米のジャズ教育界のボス、大統領みたいなもの。
 これは、「大変な人に見込まれたものだ」と嬉しさと
 重責が錯綜し複雑な気分である。招待公演参加メンバーは
 40名、ゲスト参加でエリック宮城、土岐英史氏、父兄参加
 25名計67名による海外ツアーである。
参加メンバーには小学生もいる。 この子たちはアメリカに行く事がどれだけ大変か
まったく分かっていない。 時差の怖さにである。

案の定、向こうに付いてから子供たちは時差から来る体調不良でバタバタ倒れる。
このとき友人の医師に同行してもらったのが本当にこの時ほど心強く思った事はない。
全行程12日間の行程。 演奏ばかりではなく、観光もしたいという事で、マンハッタン
エンパイアーステートビル、レストランでの食事と修学旅行と変わらない。
これは本当に学校の先生は大変という事を実感する。

※前日ゲストとのリハーサル風景。
 3日間のコンファレンスプログラムのJJOの出番は2日目
 の午後。状況の分からない日本で色々行程プログラムを
 考えていたが、全くその通りにならない。 子供たちの
 体調と時差ボケの状態を見ながら、プログラムを修正し
 ての毎日である。
 コンサート前日夜リハーサルを行うが、まったく演奏
 できない。
それもそのはず、日本時間の早朝である。
 次の日は本番どうなるのだろう・・・と思いながら本番
当日を迎える。 こんなに大変なツアーだったか・・・。
この場面サクっと簡単に進めるつもりが当時の事を思い出し長くなったので

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和製ジャズ温故知新.3/東京ローズ

戦時中ジャズが全く行われていないかというとそうでもない。
前回、3人の名をあげた。
1910年生まれ 森山久(もりやまひさし サンフランシスコ生まれ)
1911年 生まれ ディーブ釜萢(かまやつ)(釜萢正)(ロサンゼルス生まれ)
1916年生まれ アイバ・戸栗(戸栗郁子)(ロサンゼルス生まれ)
森山 久は歌手森山良子の父、ディーブ釜萢はかまやつひろしの父である。
この二人はアメリカで日系のジャズ歌手として活動していたが、世界大恐慌
のあおりで日本に来日。いずれも日本に帰化し成功している。
歌手ではない戸栗郁子は戦中アメリカ向けの政策放送(NHK)で
DJのはしり「東京ローズ」として活動し成功する。
この名前は、政策放送を聞いていたアメリカ人が付けた名前である。
戦後、日本になじめない彼女は帰化することなくアメリカに帰るが、
政治犯としてとらえられ、不遇な一生を送ることとなる。
戦中「ゼロ・アワー」「サンデー・プロムナード・コンサート」などと
タイトルがついた番組でジャズを流し続けるが、その演奏に森山、釜萢
の二人も参加していたのである。
しかしこれも、戦局が悪化してくると米英音楽追放の動きが増し、
放送中止に。 これは1945年の敗戦まで続く。
戦後、森山、釜萢は帰化し日本のポピュラー、ジャズシーンで成功し
平尾昌晃、ペギー葉山ら多くの後進をを育てるが、アイバ・戸栗(戸栗郁子)
は故国に帰るも反逆罪の疑いで終身刑を受ける。彼女のアメリカ国籍が回復
したのは1977年である。
戦中のジャズシーンに関わった日系の3人であるが、それぞれが
戦争によって人生が大きく変わっていく。



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和製ジャズ温故知新.2/服部良一

昭和初期の和製ポピュラー(ジャズ)を考えるとき、服部良一の名は避けて通れない。

彼の名前は、戦後「青い山脈」のヒットで全国的に知られたものとなるが、
昭和初期からすでに、ジャズのフィーリングを取り入れた曲を多く書いている。
「蘇州夜曲」「別れのブルース」等は昭和モダンと呼ばれ、多くの聴衆のの支持を
得ている。

この時代は満州事変から太平洋戦争に向かう時代であり、時代背景は絶えず
不穏な空気が漂っている。
しかし、ダンスホールを中心としたジャズ演奏は始まっており、スイング演奏も
徐々に定着したものとなっていたが、和製ポピュラー、昭和歌謡といずれもが
渾然一体となり、時代を作っていた。いわゆるフュージュンである。

この場面でも時代を牽引していたのが服部良一である。

ジャズと歌謡曲の橋渡し役として彼の果たした役割は非常に大きい。
この後、日本は太平洋戦争に突入し、ジャズ音楽は敵勢音楽として
しばらく、表舞台から消え軍事歌謡一色になる。
ジャズの不毛の時代である。

この時代この3人に光が当たる。
1910年 森山久(もりやまひさし サンフランシスコ生まれ)
1911年 ディーブ釜萢(釜萢正)(ロサンゼルス生まれ)
1916年 アイバ・戸栗(戸栗郁子)(ロサンゼルス生まれ)
アイバ・戸栗(戸栗郁子)は戦中DJの奔りと言われる「東京ローズ」である。
彼女を使い日本政府はアメリカ向けにジャズ音楽を流していたのである。
だが、これは国家政策の一環である。しかし、戦中でも堂々とジャズを演奏
している人もいたのである。ディーブ釜萢(かまやつひろしの父)もその一人
である。







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和製ジャズ温故知新.1/二村定一

日本におけるジャズの先駆は、明治四十五年(出港してから、数日後には、七月三十日、
明治天皇が崩御することになり、大正に改元)アメリカ行きの東洋汽船の地洋丸
(グリーン船長)に乗り込んだ五人の青年たちにはじまる。波多野福太郎、奥山貞吉、
田中平三郎、斉藤左和、高桑慶照、いずれも東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)の
卒業生だった。

この船出には当時校長であった鈴木米次郎も夏休みを利用して一緒に乗船した。
彼らは、はてしなく広がる太平洋の海原を見てそのかなたにあるジャズの発祥の国に想い
をはせ、期待に胸を躍らせた。
『私の青空 二村定一 ジャズ・ソングと軽喜劇黄金時代』

日本のジャズの黎明期の前、先駆となった人のこと調べている。
調べてみると1900年初頭からすでに、ジャズと言えないまでも、ポピュラーとも付かない
ジャズとも付かないクラシックの要素の入ったものが、この時代にある。

上記に出てくる二村定一とは、"My Blue Heaven"(私の青空)で一世を風靡する
人である。上記の明治45年というと明治の終わり、大正に入ろうかという頃である。
この時期から日本にはジャズの芽がある。
それから考えると100年もの歴史がある。 アメリカのジャズが形創られたのが1890年後半
なので、ほぼ同時期に時代が作られていたことになる。
これは、非常に重要なことで、輸入大国として名を馳せている日本が、上記記述によると
逆に向こうに押しかけたともとれる。
この時期のことを調べると、知っている名前は「二村定一」位しかいないが、昭和にはいると
服部良一らが活躍を始める。1930年前後の話である。 

アメリカではこの時期すでに
スイングジャズが始まっている。


以下次回に。

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ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2003年・国際ジャズ教育セミナーin旭川に参加!

2003年はジャズマンス・イン・旭川2003として国際ジャズ教育セミナーin旭川
が開かれました。 JJOはその中心参加メンバーとしての参加です。

IAJE(国際ジャズ教育協会総裁)リチャード・ダンスカム氏、同協会の理事でもある
マーシャ・ダンスカム氏、ウイリー・ヒル氏、日本からはエリック宮城(TP)中川
英二郎(TB)他3名の講師での旭川では初めてとなるジャズ教育セミナーです。

blog_import_50549a9530c9c.jpeg blog_import_50549a9653e3b.jpeg ジャズ教育とは言ってもジャズ発祥の地アメリカに比べ
 ると、
 日本はまだまだ後進国です。 
 教育メソッドにしてもほとんどが米国の翻訳です。
 これが、そのまま使えれば問題ないのですが、
 何と言ってもジャズ層の薄い日本ではほとんどがそのまま
 使えません。


旭川のJJOもまたメソッドと楽譜には本当に苦労させられました。
市販の楽譜でそのまま使えるものは皆無、そんな事からレベルに合わせて全て作り替えていました。 
これがとんでもなく時間のかかる作業。もう!本当に。

blog_import_50549a975f275.jpeg  今からして思えば、月1回の練習の為の準備でぎり
 ぎりです。週1回は理想ですが、現実的には
 不可能で当初の判断は間違っていなかった事になり
 ます。年間約11回のリハーサルで、育成しながら
 ゲストとの共演に備える事は、指導者の手腕も試さ
 れるところです。
 IAJEのリチャード・ダンスカム氏に此処のところ
 を相談したところ、IAJEにある全ての資料と
 指導者を提供する用意があるとの事。 まさに
 天の助けです。

IAJEと言うと、世界に1万人以上の会員、指導者を抱える巨大なジャズ教育団体である。

※初歩の即興演奏クリニックの場面。
blog_import_50549a989b675.jpeg しっかりしたコンセプトさえあれば、ジュニア
 ジャズは成功すると踏んで始めたのですが
その
 読みはあたったのです。


 元々この地は吹奏楽が盛んでブラスの素地がある
 ところに加え、ジャズマンスイン旭川との提携で
 多くのゲストに恵まれたところも、成功の鍵かも
 しれない。


このときのプログラムが以下のものです。これは、ダンスカム氏に相談なく決めたものですが、IAJEのプログラムとほとんど同じもので、ジャズの歴史を組み込む事は、IAJEより良いかもしれないとの事。 

■セミナープログラム
   1. 指導者に対するプログラム1.2      
   2. 初歩の即興演奏の実際
   3. 各楽器パートレッスン
   4. 合奏レッスン
   5. ジャズの歴史         
   6. JJOクリニック
   7. クリスタルホールコンサート    
    「ルーツ・オブ・ジャズコンサートVol.3」


此処での活動の確かさが示された瞬間でもあります。
blog_import_50549a99ec124.jpeg 
■2003年の共演者
 ●6月ジャズマンス・イン・旭川2003(国際ジャズ教育セミナーin旭川)に出演。
 (共演:リチャード・ダンスカム、マーシャ・ダンスカム、ウイリーヒル、エリック宮城、
     中川英二郎、続木 徹、井野信義、海老沢一博)
 ●11月第5回JMIAジュニア・ジャズオーケストラクリエイティブコンサート。
  (共演:エリック宮城、多田誠司)

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2002年・スーパーバンド              エリック宮城&EMBAND登場!

2002年の共演で強烈に印象に残っているのは、エリック宮城&EMBANDです。

blog_import_50549aa2da25c.jpeg このバンド、日本で最も優秀な演奏家集団と言わ
 れ、主にスタジオワークを中心に活動するメンバー
 がエリック宮城のかけ声のもと集まった泣く子も
 黙る凄腕バンドである。

 スタジオワークを中心にするメンバーだけあって、
 初見の能力は言う及ばず演奏が本当に異常という
 ほどにうまい。この当時も今もこれほどのミュー
 ジシャンが集まっているバンドは私は知らない。

 個々のメンバーがみんな超売れっ子のミュージシャン。

エリック氏に聞くとスケジュールが合わなくて、なかなかライブが出来ない事が悩みと言う。 
勿論この時、都内以外には出た事がない。

そんな、スーパーバンドが北海道まで来ることに!。
その当時ジュニアジャズの特別講師を務めていた、エリック氏に相談したところ
何と来旭が簡単に実現してしまったのである。

それも、演奏会と合わせてJJOとも共演しましょうという。

な、何という事だ。
ヒョウタンから駒。 馬の耳に念仏。鬼に金棒。⌒⊥⌒ゞ(>_<)( ̄^ ̄)ゞ×○△・・。
私自身、何だか分からない状態に。

blog_import_50549aa40d2aa.jpeg このスーパーバンドとコンサート前日、障害児招待
 コンサートでJJOと共演する。EMBANDメンバ−は
 自分の子供のようなJJOメンバーとの共演に、ワク
 ワクしている。子供たちはと言えば、人の気も知ら
 ずみんな嬉しそうである。呑気なものである。 
 この呑気なところがJJOの持ち味と言えばそうなり
 ます。

 JJOは何と言っても月に1回しか練習に集まらない。
 自分で決めた事だが。それでEMBANDと共演である。 
 墓穴を掘って焦っているのは私だけである。

演奏会はEMBAND4曲、JJO2曲、合同1曲。
合同の曲は2年前から取り組んでいる子供たちの作曲した曲を編曲し、演奏するもので
初初演となるものです。
演奏は障害児と会場が一体になり、本当に感動的なものになった。

blog_import_50549aa5aa13c.jpeg この年はもう一つの出会いがある。IAJE
 (国際ジャズ教育協会)の総裁だったリチャード・
 ダンスカム氏との出会いである。この人
 と出会った事により2004年にニューヨーク招待
 公演が実現する。
 JJOの演奏とジャズ教育を高く評価したダンスカム
 氏が2004年のIAJEジャズコンファレンスに招待
 して下さったのです。 JJOを世界に広めてくれた
 大恩人です。良き出会いに感謝、感謝です。
※写真はダンスカム氏の特別クリニック。

■2002年の共演者
●03月第4回スプリング・ミュージックキャンプ開催。
 (講師:エリック宮城、土岐英史、向井滋春、深井克則、海老沢一博、佐々木義生)
●11月第4回JMIAジュニア・ジャズオーケストラクリエイティブコンサート開催。
 (共演:岡崎好朗、多田誠司、向井滋春、続木 徹、坂井紅介、海老沢一博)
●11月障害児招待コンサート。
 (共演:エリック宮城&EMBAND)
メンバー:(TP)エリック宮城、木幡光邦、 西村浩二、 佐々木四郎、 佐久間 勲
      (TB)中川英二郎、松本 治、清岡太郎、佐野 聡
      (A.SAX)鈴木明男、 近藤和彦(T.SAX) 佐藤達哉、 黒葛野敦司、(B.SAX)宮本大路
      (PIANO)松本峰明、(BASS) 村上 聖、(DR)岩瀬立飛、(PER)大石マリエ

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2001年驚異のパーカッション.ジョバンニ・イダルゴ

2001年は神の手を持つと言われている世界的パーカッショニスト、ジョバンニ・イダルゴ
共演しました。
 ジョバンニは現在世界で最も優れたテクニックを持ち、最も名前の売れて
 いるパーカッショニストだろう。 巨匠というには若すぎる年齢であるが、
 5歳から始めたというコンガに関しては、本当に神業的な演奏をする。
 JJOは2001年と2008年に2回共演させて頂きました。
 2001年の共演はJJOが結成間もない事もあり、ラテンのリズムは本当に
 難しかった。ジャズビートもそうであるが、ラテンビートもまた日本人の
 体には本当にないものだ!と痛感した事を思い出す。 
        
 ジョバンニとの初対面は衝撃的なもので、彼を囲ん
 だワークショップでは本当に「手が見えない!
 子供たちは目を白黒させながら「凄い!」を連発。
 しかし、ここからが普通のミュージシャンと違う
 ところ。
 メンバー全員にラテンビートの歴史と考え方、音楽
 に向かう姿勢を教えたのである。クリニックは
 普通、技術と簡単な考え方で終わるものだが、彼の
 は全く違う。
「深い愛情からでた音楽が深い音楽となり、
人々の心に深く入って行くのだよ」と思想を教える。
世界の巨匠クラスの言う事は本当に違う事を実感したものである。
その他、演奏前にジョバンニのように毎回お祈りをしてからステージに向かうミュージシャン
も初めてである。 子供のJJOとの演奏でも同様にである。
 この年もう一人ワールドクラスのピアニスト、ウーゴファトルーソとも
 共演しました。彼はウルグアイ出身のピアニストで、故郷ウルグアイでは
 独特のリズム「カンドンベ」の奏者としても尊敬を一身に集めている存在
 です。ジョバンニとウーゴこの二人の巨匠が生み出すリズムは本当に強力
 です。 しかし全く押し付けがましくないところが、巨匠たる所以か。
 本当に包まれているような空気の中で演奏が出来るのである。


この二人との共演によりジュニアジャズオーケストラは、ジャズのみではなく
旭川の風土を意識したサウンドリズム作りにも目覚めていくのです。

■2001年の共演者
●03月第3回スプリング・ミュージックキャンプ開催。
(講師:エリック宮城、土岐英史、向井滋春、深井克則、海老沢一博、佐々木義生)
●11月第3回JMIAジュニア・ジャズオーケストラクリエイティブスペシャルコンサート開催。
(共演:ジョバンニ・イダルゴ、ウーゴ・ファトルーソ、土岐英史)

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/2000年驚異のジャズバンドとの共演

ジュニアジャズ(JJO)の2000年にあった出来事として、ボストン東スクール
ジャズバンドとの共演があげられる。
 このバンドは自閉症を持つ障害児のみで編成され
 た、ビックバンドである。それも比較的重い子も
 多くいる。
 発足は1988年というから、今年で24年の歴史を
 持つ。2000年当時は発足から12年のバンド、
 レパートリーは数多くないもののそのジャズ演奏
 のパワー(なんて言ったら良いか分からない)
 には驚嘆したものだった。


ボストンから招聘するにあたり、一度関係者と米国ボストン東スクールを訪問し、実際の練習風景
を見学し、自分も実際に演奏してみた。
自閉症という障害を持っている事で、当然健常児と同じ練習にはならない。
同じ事を何回も飽きる事なく説明する先生にも頭が下がるが、それに食らいついてくるメンバー
もたいしたものである。

海外からの来客として紹介されてセッション(私はベース)を行ったが、外で聞くとは大違い。
固まりのようなビートがうねっている。このバンドは凄い!(うまいではなく)言葉が出なかっ
 た。
このバンドはジャズバンドそのものが持って
 いるジャズの強力なパワーを持っていたのである。

 エリントン、カウントベイシー楽団のように。
 どうして持っていたかは今も不明であるが。

 98年からJJOを始めていた私としては、久しぶりの
 カルチャーショックである。この当時JJOは45名位
 いたが、束になってもかなわない。この経験は、
 その後のJJOの活動を大きく左右する事になる。

この他2000年には朗報がありました!
朝日新聞主宰第2回朝日のびのび教育賞をいただきました。
全国500団体あまりの中から5団体が表彰を受け、その中に入ったのである。

まだまだ黎明期だったJJOに取って大きな励みとなる受賞でした。
多くの教育関係者の前で、まだまだなれないスピーチ。ステージより100倍緊張した事が懐かしい。

※キャンプにおけるゲスト講師海老沢一博との
 個人レスン風景
(ここの練習会場武道館と言います。硬派の指導で定評の ある海老沢氏と会場が妙にマッチしていて思わずニッコ リしたものだ。バックの「開拓」の書もGOODである)






■2000年の共演者
●第2回スプリング・ミュージックキャンプ。
 (エリック宮城、土岐英史、向井滋春、深井克則、海老沢一博、佐々木義生)
●06月ワンダー・オブ・ミュージックコンサート出演。
(共演:ボストン東スクールジャズバンド、タイガー大越、海老沢一博、椎名 豊、山田 穣)
●10月朝日新聞「朝日のびのび教育賞」受賞。
●11月第2回JMIAジュニア・ジャズオーケストラクリエイティブコンサート開催。
(共演:エリック宮城、土岐英史、向井滋春、椎名 豊、海老沢一博)

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/99年.キャンプ開始

旭川のジュニアジャズオーケストラ(JJO)が成功した大きな
要因にジャズマンスイン旭川(JMIA)の存在があります。
JMIAは国内外の著名演奏家を招聘し、93年に北海道で初めて出来た音楽ホール
旭川大雪クリスタルホールを舞台として、音楽交流、音楽教育に
関わる事を目的に1995年から始められました。
音楽堂は札幌のキタラホールが北海道初めてではありません。旭川のクリスタルホール
が先です!。
 このJMIAの豊富な人脈とゲイリーバートン(当時バークリー音楽院副校長)
 の強力なバックアップがあり、JJOは飛躍的に活動の幅を広げていきます。
 言ってみるとJMIAなしにはJJOは存在しなかった事になります。
 折しも、99年はJMIA5周年を記念、小曽根真、金子飛鳥、向井滋春
 他11名のゲストを招聘し、記念事業を催しました。



 その時に初めて参加したゲストに、今ではスーパートラン
 ペッターとして有名になったエリック宮城氏がいます。
 そもそも、このJJOの計画を考えた時、一番最初に考えたの
 がドラマーとリードトランペットの存在です。
 この時すでに、ビックバンド業界は斜陽な時代に入り、
 次々にバンドが消えていった時代です。 そのような
 時代でも私の強烈に脳裏に焼き付いているビックバンド
ドラマーに海老沢一博氏がいます。
JJOの黎明期の数年間海老沢氏に関わって頂いた事で、ビックバンドスタイルの
基礎ができたと言っても過言ではありません。
また、この年からJJOはミュージックキャンプを始めます。
(講師:エリック宮城、土岐英史、向井滋春、椎名豊、坂井紅介、そして海老沢一博)
2泊3日まさしく山ごもりの様相を呈した「大雪青年の家」でのキャンプです。
 誰かは忘れてしまいましたが講師の一人が「タコ部屋」
 と言ったが、まさしくその言葉の通りです。
 そのようなところで、日本の最高のミュージシャンから
 最高のジャズ教育を子供たちは受けました。 さしずめ
 タイガーマスクの「虎の穴」か? 少し古いか?・・・。
 このキャンプの事を思い出す度、私はゲスト講師をして
 頂いた方に言葉では言い表せない感謝の気持ちがあふれ
るのです。
このキャンプは終止符を打つ2010年まで11回開催しました。
■1999年の共演者
●03月第1回スプリング・ミュージックキャンプ開催。
(講師:エリック宮城、土岐英史、向井滋春、深井克則、海老沢一博、佐々木義生)
●05月ジャズマンス・イン・旭川’99障害児招待コンサートにゲスト出演。
(共演:エリック宮城、土岐英史、向井滋春、深井克則、坂井紅介、海老沢一博)
●11月第1回JMIAジュニア・ジャズオーケストラクリエイティブコンサート開催。
(共演:エリック宮城、土岐英史、深井克則、海老沢一博)
以降2000年に続く!

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ジャンル : 音楽

ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/98年.結成初演

1998年JMIAジュニアジャズオーケストラ(JJO)は結成されました。
98年と言えば、長野オリンピックのあった年です。
バブル経済崩壊後とはいえ、まだバブルの余韻が残るこの時期,
この企画は1995年から始まった、ジャズ音楽祭ジャズマンスイン旭川
の98年度新企画として提案され、5月公募、6月からリハーサルに
入りました。
 企画は小学校高学年から中学生までのジュニア
 ジャズオーケストラを結成、98年ジャズマンス
 期間中、最終日に日本を代表するジャズ演奏家6名
 の指導を受けコンサートまで持っていくというも
 のです。
 ゲストはボストン在住のタイガー大越(TP)
 トロンボーンのスタープレイヤー向井滋春(TB)
 サックス界を代表する土岐英史(SAX)、
 東京ユニオン出身深井克則(PF)、ベースの達人

坂井紅介(BASS)日本ビックバンド界を代表するドラマー海老沢一博(DR)の6名。

この時、北海道では他のジュニアジャズはありません。
日本全国でも本当に数えるほどしか青少年のジャズオーケストラはありません。
当然、指導のメソッドも皆無です。 後にIAJE(国際ジャズ教育協会)を通じ
メソッドを手に入れるも、結局はそのまま使えない。
結局、JJOのレベルにあわせたメソッド、楽譜の作成が必要になり多くの時間を
この為にさく事になります。
 メンバーは結局、公募35名、学校参加30名の
 65名。オーディションをしないのでレベルも
 年齢もばらばらの65名の巨大なビックバンド
 が出来上がりました。 
 日本で、こんな巨大なビックバンドを
 長期間
運営した例は日本のジャズ教育界では
 ないでしょう。
 ビックバンドスタイルは通常16名、その4倍
 の人数、それもジャズの素人、当然苦労も
 4倍です。
 今にして思えば本当に恐ろしい企画です。

この企画が可能になった大きな要因に、この地に佐々木義生というプロの作曲家&演奏家が
いた事
があげられます。
彼なしにはたぶん企画はもとより、65名の素人の子供と6名のスター演奏家をまとめる事は
不可能だったでしょう。
 このグループは4ヶ月の練習期間を経て、6曲
 のジャズ演奏を行いました。当然アドリブあ
 りで。 当日旭川大雪クリスタルホールを埋め
 尽くした聴衆は迫力とレベルの高さにひっくり
 返ったことと思います。
 12年経った今でもその時の感動が蘇ってきます。
 北海道で初めて誕生したジュニアジャズオーケ
 ストラの瞬間です。 
 私が特別にお願いした特別顧問の松浦欣也先生は、
 「こんな夢のような事が実現するとは!」と言っ
 たが、夢ではなく現実となった今、この地でジャズ
 音楽の可能性を子供たちを通じ見つめていく事にな
 ったのです。
 
 その後JJOは数々の著名演奏家との競演を果たして
 いきます。

※1998年旭川市大雪クリスタルホール音楽堂に於ける
 記念コンサート。




■1998年の共演者
●11月ジャズマンス・イン・旭川’98出演。
(共演:タイガー大越、土岐英史、向井滋春、深井克則、坂井紅介、海老沢一博)

次回99年へ!。

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ヒストリー・オブ・ジュニアジャズ/予告編

これから12回にわたって1998年に結成し、2010年
12年間の活動を終えた「JMIAジュニアジャズオーケストラ」
の事をふれてみたく思います。

詳細は次回からですが、JMIAジュニアジャズオーケストラ
は、国内外の様々なジャズプレイヤーと共演し、日本のジュニアジャズ
の歴史に大きな足跡を残しました。

12年間に共演した国内外のジャズ演奏家は80名を超えます。
おもな演奏家にタイガー大越、向井滋春、土岐英史、椎名豊
坂井紅介、海老沢一博、エリック宮城、エリック宮城&EMBAND
多田誠二、スティーブサックス、広瀬淳二、チックコリア
サミーネスティコ、ジョバンニ・イダルゴ、エド・シグペン等々

きりがない位の共演者の数です。

どうして、このような事が可能になったのか?
それは、次回から追って書いていきたいと思います。
乞うご期待!

【2004年1月、IAJEニューヨーク招待公演より】 

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

ジャズマンスイン旭川2012/THE WORLD OF SAMMY NESTICO

2012年11月10.11日にわたり第17回ジャズマンスイン旭川
を行います。
今年は2005年以来のジャズ作編曲家の巨匠「サミーネスティコ」
をテーマに開催します。

「THE WORLD OF SAMMY NESTICO 2012」
「ビックバンドの聖典・サミーネスティコの世界」です。


氏は今年88歳。
年齢で言うと最晩年に当たるが、いまだ創作意欲は
衰えておらず斬新なサウンドの創作を続けている。

今回は昨年の新譜『On the Sammy Side of the Street」
を中心に全曲サミーネスティコの曲を演奏予定。
そのような事からゲストもビックバンドリーダー
が2名を含んだ6名を特別に招聘します。
・エリック宮城(Tp)
・多田誠司(A.Sax)
・片岡雄三(Tb)
・守屋純子(Pf)
・中村健吾(Bass)
・広瀬潤次(Dr)


※ネスティコ氏自身は、高齢から来る体調不良のため特別に映像での
 メッセージ参加となります。

今回の目玉は「JMIAサミーネスティコ・メモリアルオーケストラ」です。
このオーケストラはゲストメンバー6名+10名からなる今回の為の特別オーケストラで、
昨年制作された氏の一番新しい新譜「ON THE SAMMY SIDE OF THE STREET」
を演奏する為に特別に集めた精鋭のオーケストラです。

その他、旭川ジュニア・ジャズオーケストラOBの「JMIAリユニオン・ジャズオーケストラ」
も出演する。

【6名のゲスト】

言わずと知れた日本を代表するスーパートランペッター
自己のオーケストラEMバンドのリーダーとしても活躍。
近年はフリューゲルホルンによるメローな表現も秀逸。

多田誠司(アルトサックス)

日野皓正クインテットのメンバーとしても名高い。
自己のバンド「MOST」の演奏でも知られる。
エネルギッシュなアドリブは近年特に磨きがかかる。

片岡雄三(トロンボーン)

シャープ&フラット他数々の著名ビックバンドで経験を積む。 
近年コンボ演奏で見せる圧倒的なテクニックとパワフルな
音は他の追従を許さない。

守屋純子(ピアノ)

守屋純子ジャズオーケストラのリーダーとして活躍する。
セロニアス・モンク・コンペティション作曲部門で優勝する
など、作編曲家としても自己のオーケストラの為、数多く作曲。
2005年以来の出演。

中村健吾(ベース)

ウイントンマルサリス&リンカーンセンタージャズオーケストラ
の参加等、米国で身に付けた豊かな音量とテクニックが魅力。
小曽根真&ノーネームホースのメンバーとしても知られる。
ジャズマンスイン旭川初出演。

広瀬潤次(ドラム)

コンボからビックバンドまで演奏する逸材。
バディーリッチスタイルのビックバンド演奏は
特に秀逸である。
2010年以来の出演。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

新譜「On the Sammy Side of the Street」を考える.1                 1930年の名曲「On the Sanny Side of the Street」

ネスティコ氏の新譜「On the Sammy Side of the Street」では、
全14曲中、9曲のアレンジ、5曲のオリジナルを録音している。

新譜を考えるシリーズの初回は「On the Sanny Side of the Street」
を取り上げる。

アルバムタイトルを見て分かるがタイトルが、趣のあるシャレである。
ネスティコ氏はいつも非常に明るいジョーク好きのアメリカ人である。
今回のアルバムには特にアメリカ人特有のジョークと遊びが隠されている。


"On the Sunny Side of the Street"
 (Ted Lewis, 1930)
「On the Sanny Side of the Street」は1930年ブロードウェー・ミュージカル
「 International Revue」 のために書かれた。
タイトルは「明るい表通りで」となる事が多いが、正確には
「陽のあたる道で」の方が正確である。

歌詞は「お金持ちになれないけれど、表通りを歩いていれば幸せさ」という
簡単なものだが、1930年を考えて見ると、アメリカではニューヨーク、ウォール街
で起きた株の大暴落により有名な世界大恐慌が始まる年である。

のんびりした歌詞と明るいメロディとは裏腹の暗い世相なのである。

この曲のアレンジの元になっているのは、トミードーシー楽団のものである。
スタイルは氏が得意のバンド全体が豪快にスイングするベイシースタイルである。
しかし洗練されたハーモニーの使い方はまさにネスティコ流である。

聞いてみて耳を弾くのはイントロのピッコロ。 最近の氏のアレンジには
木管楽器が多く使われ、こだわりが強い。
ソロはトロンボーン~アルトサックス~テナー~ギター~ピアノと続く。
特に素晴らしいのは、アルトサックスのダン・ヒギンズ。
こういうリードとソロを撮れるのはネスティコ氏曰く彼だけとの事である。

今回変わった2種類の動画をのせてみる。
暗い世相と反対のほのぼのとした明るい曲調が何とも不思議である。

振り返ってみると、2012年の閉塞的な世相と1930年がそっくりなのは
気のせいか。


Rod Stewart 
On theSunny Side Of The Street         

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

新譜「On the Sammy Side of the Street」を考える.2               1965年映画音楽の名曲「The Shadow of Your Smile」

サミーネスティコの新譜を考えるシリーズ、第2回目は
映画音楽として名高い「The Shadow of Your Smile」を考える。

邦題は「いそしぎ」。
曲は数限りなく聞いた覚えはあるが、よく考えると「いそしぎ」?
何のこと?と思い調べてみると、カモメに近い海鳥の事。

映画はエリザベス・テイラーとリチャード・バートン美男美女主演の
男女の出逢いと別れの物語である。
作詞ポール・フランシス・ウェブスター、作曲はジョニー・マンデル

「The shadow of your smile 」
Barbra Streisand & Johnny Mathis
ジョニー・マンデルは元々トランペット奏者で、カウントベイシー楽団でも
演奏した。(知らなかった)
映画音楽を数々作っているが、この「いそしぎ」が何といっても有名である。
この映画のサントラ版はクインシー・ジョーンズがプロデュースをしている。
(これも知らなかった)

ネスティコ氏はこの名曲を全編アルトサックスのダンヒギンズをフィーチャー
している。 ネスティコ氏はこのソロを聴き泣いたと言うが、本当に心のある
ソロをとる人だ。 
著作権の関係で音源はのせられないが、是非CDを聞いて頂きたい。

ネスティコ氏自身も一番良い音楽テイクと言っているのがこの
トニーベネットが歌ったものである。

Tony Bennett 
「The Shadow of Your Smile」 (1966)
アレンジはアルトサックスをフィーチャーし、3本のフルートバスクラリネット

ミュート奏法のTP.TBで独創的なサウンドを作り上げている。

後半ここぞと言う時に、フルパワーの泣きのブラスサウンドが鳴る。
本当にネスティコ氏は盛り上げ方を熟知している。

参加したミュージシャン誰もが、ネスティコ氏はまだ進化しているといい
「次回も是非参加させてくれ」と全員から懇願されたらしい。

2012年の現代にこんなサウンドを作れる人がいる事を嬉しく思う。


テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

新譜「On the Sammy Side of the Street」を考える。

昨年12月に発売された新譜「On the Sammy Side of the Street」
についてふれてみたい。
Writing 3

この新譜、一口で言うとアメリカンエッセンスふんだんのアルバム
と言える。 ネスティコ氏曰く20年代から50年代のアメリカである。
この時代は良くも悪くもアメリカが輝いていた時代。

当然、ジャズは猛烈なスピードで進化を続けていた時代で
彼自身が書いたライナーノートにその事がふれてある。
以下ライナーノートの訳である。

              『音楽について』
これ迄の私のCD は、主にオリジナル曲に加え数曲のスタンダード曲から
なっています。今回のCD制作に当たり、昔からのスタンダード曲をハーモニー
で装いを新たにしてみても面白いかなと考えました。「Bye Bye Blues」
「On the Sanny Side of the Street」「Rose Room」等はそのシンプル
さゆえに光るものがあり、私が大変好ましく思うものですが、
あなた方現代の若者にはなじみのないものと思うので、是非聴いて知って欲しいのです。

これらの曲のシンプルな優雅さは、メロディ、ハーモニーと向き合う
のに好都合で、単なるリズムの繰り返しや、形のないイメージとは異なるものです。

私に取ってメロディは常に”王様”の様に最も大切にしてきた要素です。
録音に際して、スタジオで初見の13曲(70分)をわずか10時間で仕上げた
オーケストラの技量に感嘆せずにはいられません。このキラ星の様なミュージシャン
の一人一人の秀逸な才能と、その場に臨んだ私の望外の喜びは必ず聴き手に伝わる
ことと思います。

幼い頃より聞き育った曲を、敬愛するミュージシャンに囲まれ録音したこのCDは、
いわば私にとってのビックバンドのルーツを描く一枚の絵の様なものです。
                             サミーネスティコ


この赤字の部分である。
ここはネスティコ氏の若者への遺言と言うべきところで、氏がどれほど
メロディーを大切にしてきたかが垣間見られる。


今年のジャズマンスイン旭川2012で再び「サミーネスティコ」
を取り上げるにあたり新譜の曲を次回から少しずつ解説してみたい。

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ジャンル : 音楽

今年のチラシ出来ました!

超強力なゲストと超強力なオーケストラによる超強力な
コンサートです。 お近くの方どうぞおいで下さい。

11月11日旭川市クリスタルホール音楽堂
午後6:30開演です。

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