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和製ジャズ温故知新.18.最終回/ジャズからフュージュンへ

和製ジャズ温故知新の最終回である。

1960年から日本のジャズを積極的に創ろうという動きは、
新世紀音楽研究所(高柳、金井、富樫、菊池ら)の動きと
相まり、フリージャズの手法にむかう。
これは、ジャズだけではなく現代音楽の場面でも、十二音技法
トータルセリー、シンセサイザーの導入、偶然性の音楽を使った
前衛的な手法を模索する。
当然であるが、フリージャズも十二音技法も一般民間人には
受け入れられない。
ジャズはフリージャズに向かう事でより一層混沌として崩壊する。
また、現代音楽も進んだ理論に押しつぶされるように、ジャズと同じ道を
たどる。
70年代に入り、ジャズは電子音楽、ロック、アフリカンミュージック
とつながり「フュージュン」として活路を見出す。
この時期日本でもフリージャズを経験し、さらに新しいジャズをつくる
為、菊池雅章、日野皓正、渡辺貞夫らを中心に日本のジャズが動いてゆく。
ここまで来てはっきりするのは、フュージュンの流れにうまく乗る者、
時流に乗り切れず50年代のジャズに戻る者と、はっきり分かれてゆくのである。
18回にわたり、1920年代からから1970年まで日本のジャズを
見てきた。
そこから見えるものは、日本人の特質とも言える「新しいものを取り込んで
変化させる技術」、それとジャズそのものが持っている、どんどん変質し
生まれ変わろうとする本質である。
その先にジャズがどうなっていくかは、今も現在進行形のままである。
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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.17/武満徹とジャズ

和製ジャズを見つめる温故知新、現代音楽作曲家武満徹
が出てくるとは、自分でも思わなかった。
戦後のジャズブームを終えて、1960年中頃から一段と
フリージャズの影響が出てくる。
先のコラム「銀巴里セッション」もその一つの流れと考えれる
かも知れない。
海の向こうではオーネットコールマンが現れ、一段とジャズが混迷を
深めていく。
そのような中に同調するように出てきたのが、武満徹である。
一般人にはほとんどなじみのない現代音楽作曲家という肩書き
をしょっているが、私は映画音楽での彼の働きを非常に評価している。
音楽作品を知らなくとも、黒沢明の「乱」、「どですかでん」、篠田正浩
の「はなれ瞽女おりん」勅使河原宏「他人の顔」をはじめとして、60年代
から70年にかけて膨大な映像音楽を製作している。
その重要な要素に彼は、ジャズ手法を用いている。
スイングジャズの伝統的手法、デュークエリントンのビックバンド手法
そしてフリージャズの手法まで用い、当時現れたジョンケージをはじめとする
録音技術を用いたミュージックコンクレートまでも用いている。
1960年代後半は戦後の混乱とは違う、高度経済成長の最ただ中である。
戦前の日本人の価値観が崩壊し、戦後新しく価値観を生み出そうとしている
混迷の時期とも見れる。
そのような時期に現代音楽、ジャズ、美術、評論、映像に精通している
稀な作曲家武満徹が活躍する。
その後、彼は日本人独自の世界を彷彿させる「武満トーン」を作り上げ
世界のタケミツとなる。
TVドラマ「波の盆」
より

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.16/銀巴里セッション

終戦の色が少しずつ薄くなる1963年、「銀巴里セッション」が開かれる。
主催は「新世紀音楽研究所」。
何とも固い名前である。
 
1954年日本のジャズのスタートをきったのが「モカンボセッション
とすれば、この「銀巴里セッション」は日本のジャズそのもの
を創作し始めた記念碑的セッションと言える。
ギタリスト高柳昌行、ベースの金井英人を中心に、日野皓正、菊池雅章
富樫雅彦、稲葉国光、山下洋輔、中牟礼貞則ら日本の将来をになう若手が
集結、セッションをする。
このセッションは「銀巴里セッション1963」として録音に残る。 
それぞれのメンバーが個性を発揮し、自己のグループを
後年結成することになるが、この時最も存在を示したのが、高柳昌行
である。そんな彼も1991年58歳で病死する。
この時期、現代音楽の場も草月アートセンターを中心に武満徹、
八木正生、三保敬太郎、黛敏郎を中心にクラシックの新しい動きを
模索するためジャズとの接点を探るべく「草月ミュージックイン」
として活動をおこなう。
特に作曲家として世界に名高い武満徹は、セロニアス・モンクの
サウンドを研究し、後の自分のサウンド「タケミツトーン」を
作り上げる。
こうしてジャズ、現代音楽、美術、評論のジャンルを巻き込みながら
日本独自の音楽を作り上げようとする流れが生まれるのである。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.15/日本初のダンスバンド.波多野バンドとオーケストラ

戦後15年で和製ジャズの兆しが見える。
ここで、もう一度ジャズをそもそも日本に広めていった人間(波多野福太郎)
のことを考えてみたい。
文献には
日本におけるジャズの先駆は、明治四十五年1912年(出港してから、数日後には、
七月三十日、明治天皇が崩御することになり、大正に改元)アメリカ行きの東洋汽船
の地洋丸(グリーン船長)に乗り込んだ五人の青年たちにはじまる。波多野福太郎、
奥山貞吉、田中平三郎、斉藤左和、高桑慶照、いずれも東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)
の卒業生だった。
1912年このアメリカ行き(横浜~サンフランシスコ間)の客船(地洋丸)の専属バンド
として波多野福太郎(バイオリン)、奥山貞吉(ビオラ)、田中平三郎(バイオリン)
、斉藤佐和(ピアノ)、高桑慶照(チェロ)の5名が乗船するところから始まる。 
リーダーは波多野福太郎である。
この波多野福太郎を中心とした波多野バンドは、1918年まで専属バンドとして
活動する。 編成は見てみるとピアノ+弦楽四重奏。
当時演奏されていた曲は、船上で演奏する為「オリエンタル・ダンス」「キスメット」
「金婚式」などの小品クラシックがほとんどで、ジャズは演奏されていない。
しかし、初めてサンフランシスコに上陸し、演奏した時は、器用に舶来の楽器を
操る日本人に対して拍手喝采をあびる。
波多野福太郎は18年以後船をおり、弟波多野鑅次郎とともにハタノオーケストラを結成し、
帝国ホテルなどで演奏する。 これが日本で初めてのダンスバンドである。
このダンスバンドでは、アメリカ往復期間に持ち帰ったジャズのスコアー、パート譜
でフォックス・トロットやワン・ステップ、ラグタイムが演奏される。
この波多野福太郎を中心とした無声映画への参加、ダンスホールでの演奏が、
日本のジャズの幕を開けることとなる。。
この動きの拠点は横浜を中心とした東京であるが、関東大震災(1923年)を境に拠点は
大阪に移る。
海の向こうアメリカでは、1900年コルネット奏者のバディ・ボールデン
ニューオーリンズで人気を博し 1917年ニューオーリンズ出身の白人バンドである
レコードを発表する。
このように、アメリカと日本はラグタイムピアノのように、わずかな時間差で
ジャズが発展していく。
バディ・ボールデンバンド
1905年頃

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和製ジャズ温故知新.14/和製ジャズ誕生

1961年「祭りの幻想」というレコードが発売されている。
演奏は時代の寵児と言われていた白木秀雄クインテットである。
メンバー:
小俣尚也(tp), 松本英彦(ts,fl), 世良譲(p),
 栗田八郎(b), 白木秀雄(ds), 
白根きぬ子(琴)※「祭りの幻想」のみ参加 
1961年録音
このレコード、一口で言うと和洋折衷のジャズ。
しかし、戦後から続くジャズブームの熱い息吹がある。
この曲「祭りの幻想」を書いたのが八城一夫である。
書いたのは58年位らしいが、58年というとマイルスが
モードジャズ「マイルストーン」を発表した年である。
日本でもモードによるアプローチが始まっていたのである。
しかし、アプローチと言っても本質的なものではなく、
琴をジャズに組み込むなど安易な手法とも言えなくもない。
戦後のこの時代、ほとんどのミュージシャンがアメリカに追いつく
ことを第一に考えていた時代に、日本人のジャズを作り出そうと
していた空気は非常に読み取れる。
しかし、このジャケットすこし安易すぎる。
クラシックの分野で、日本人では武満徹がジャズの手法を取り入れ
盛んに映画音楽を作曲している。
その中には「他人の顔」「ホゼトーレス」等デュークエリントンの
ハーモニー手法を取り入れ、メロディーを日本情緒豊かに作られた曲が
多く見られる。
日本人にとってもまだまだ夢のある良い時代だったのである。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.13/時代の寵児.白木秀雄

50年代の日本のジャズを語る上で、必ず出てくる人物に
白木秀雄」がいる。
1933年生まれ。本名「柏倉秀康」高校でハーモニカバンドに在籍する白木は
後に東京芸大打楽器科に入学する。この年の打楽器科入学は2名。
同期に指揮者の岩城宏之がいる。
芸大在学中からブルーコーツなどの人気ビックバンドの他レイモンド・コンデと
ゲイ・セプテット、河辺公一とゴールデン・チャリオティアーズ
小野満とフォアブラザーズ、与田輝雄とシックス・レモンズ等の人気バンドを渡り歩き
1957年白木秀雄クインテットを結成する。
メンバーは、松本英彦、福原彰、世良譲、栗田八郎とこれまた当時の
モダンジャズの寵児ばかりを集めたバンドだった。
時代はビバップからハードバップに移行する時期である。
この時期海の向こうではファンキージャズと称する、アートブレーキをジャズメッセンジャーズ
が流行する時期である。 いち早くその流れを汲んだ白木秀雄は時代を代表する
ドラマーとなっていく。
そのような時代の寵児を集めたバンドは言うまでもなく次世代のミュージシャンを
多く育てる。
トランペット/福原彰、小俣尚也、仲野彰、日野皓正
テナーサックス/宮沢昭、松本英彦、村岡建、稲垣次郎
ピアノ/八城一夫、世良譲、大野雄二
ベース/栗田八郎、稲葉国光などが在籍した。
彼らは後の日本のジャズシーンを作っていく中心となるメンバーばかりである。
そんな時代の寵児も1972年39歳で人生の幕を閉じる。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.12/江利チエミ

モカンボセッションでモダンジャズの幕開けとなったが、モダンジャズが
大衆の音楽とはならない。
大衆の欲していたものは、軽音楽という日本語の歌入りのジャズ、歌謡曲
を欲していたのである。

ジャズブームの最中の1952年、日本にとって最も大事な「日米安全保障条約」
が発効される。 この発効により、占領軍は駐留軍となり規模を縮小して
日本に残ることとなる。

基地周りをしていた日本人ジャズマンは、基地以外でも演奏するようになり
ジャズブームに貢献するのである。

そのような中、キャンプ周りで鍛えた歌唱力とジャズフィーリングを日本人の
もともと持っていた「コブシ(節)」を取り入れ登場した歌手が「江利チエミ
である。

彼女は幼い時からキャンプ周りで身に付けた、黒人のジャズフィーリングと
日本人の心の底流に流れる浪花節の要素をあわせ、「テネシーワルツ」を歌う。
この歌は瞬く間に日本人の心をつかみ、一躍アイドルのような存在となる。
1953年のこの時期同じように、「思い出のワルツ」で雪村いずみがデビューする。

ジャズと邦楽フィーリングをあわせた江利チエミ、ミュージカルの歌い方をベースにした
雪村いずみ、演歌の美空ひばりをあわせて元祖!「三人娘」として時代をつくる。

敗戦によって傷ついた大衆の心には、舶来音楽のジャズよりも歌謡曲を
ベースにした、歌謡ポップスの方にブームは移り、ジャズブームは終焉する。

和製ジャズ温故知新.11/幻のモカンボセッション

戦後のジャズシーンを語る上で欠かせない人物がいる。

天才ピアニスト守安祥太郎である。
バップピアニストのバド・パウェルを徹底的に研究した彼は、
この時代スイングスタイルのピアノ奏法が多い中、いち早く
ビバップのスタイルを身につけた存在で知られる。

彼は、奇癖を持っていたらしく、いわゆる曲弾きと呼ばれる曲芸のように、
ピアノの下から手だけ出して弾いたり、椅子に後ろ向きに座り右、左反対に
弾いたり、さらにステージで踊りだすという変わった人間だった。

今ならさしずめキースジャレットか?

そのような才能に恵まれた守安も躁鬱病で1955年32歳で自害してしまう。
その守安が歴史に名を残すのは、日本で初めてのジャムセッション1954年
ナイトクラブ「モカンボ」のセッションがあったからである。セッションは3日間。
現在残るものは3日目のセッションのもので、手製の重量級テープ・レコーダーに、
強く引けば切れる紙テープという、今では考えられないような代物を駆使して
録音が行われた。













メンバーは守安祥太郎、秋吉敏子、ハンプトン・ホース、石橋エータローのピアニスト、
サックスは宮沢昭、渡辺明、五十嵐明要、渡辺貞夫、与田輝雄、海老原啓一郎
ベースでは金井英人、滝本達郎、ドラムでハナ肇、清水閏、五十嵐武要、原田寛治、
そして杉浦良三(vib)や高柳昌行(g)等だ。沢田駿吾と植木等もいる。

面々を見ると日本でいち早くモダンジャズを身につけたメンバーばかりで
後に日本のジャズシーンを牽引していく、渡辺貞夫が入っているのが興味深い。

演奏は守安と宮沢が清水潤のドラムに鼓舞されて入魂の演奏を繰り広げる。
特に守安がビ・バップを自分の音楽としているのに驚く。

ここに集まった演奏家たちはその後それぞれの道を歩むことになるが、
日本のジャズのスタートはこの夜にあったといっても過言ではない。

演奏:宮沢昭(ts) 守安祥太郎(p) 鈴木寿夫(b) 清水潤(ds) 

I WANT TO BE HAPPY (MOCAMBO SESSION '54)


和製ジャズ温故知新.10/CBナインと舶来主義

1952年から起こった戦後のジャズブームは55年には下火になる。

52年ジンクルーパトリオ、53年ルイ・アームストロング・オールスターズ、
JATPオールスターズと相次いで来日し、日本のジャズファンは本場の圧倒的な
演奏とスイング感に打ちのめされるのである。

そこで日本のジャズファンの中に起こったことは、ジャズはアメリカ!という舶来主義
と日本のジャズを大切に!しようと言う国内支持派に皮肉にも分かれてしまい、そのこと
が原因となりジャズブームは下火となっていく。
その欧米に偏った舶来主義は2012年の現在でも続いている。

そんなこととは関係なく、ジャズの追求に余念のないミュージシャンは
ジャズブームが来る前の1949年、本格的なビ・バップバンド「CBナイン(クランベークナイン)」
を結成する。

中心にはリーダーで編曲もやる馬渡誠一(as)、海老原啓一郎(as)、北里典彦(tp)、
清水閏(じゅん)(ds)。戦中は敵性音楽として禁止されていたJAZZが、戦後なだれの
ごとく入って来て、それを受止めるミュージシャンも大変だったに違いない。
そのJAZZの流れを的確に読み、いち早くバップ・イディオムを身につけた馬渡誠一
や海老原啓一郎は一歩先を行く存在だった。
さらにジーン・クルーパに酔っている時代にビ・バップのリズムをたたき出そうとした
清水閏の存在も大きい。

このグループには松本英彦(Ts)も在籍した。CBナインは大きな功績を残すも
2年間の活動で解散となり、ジョージ川口とビックフォー、渡辺晋とシックス・ジョーズ
与田輝雄とシックスレモンズを頂点とするジャズブームにつながっていく。

映像はCBナインのメンバーを中心に編成された、スイング・ジャーナル・オール・スターズ。

スイング・ジャーナル・オール・スターズ
北里典彦(tp)
林 一(tb)
海老原敬一郎(as)
厚母雄二郎(ts)
松本英彦(ts)
塩井芳幸(bs)
寺岡真三(p)
荒井襄(g)
小原重徳(b)
清水潤(ds)
安藤八郎(vib)

馬渡誠一(comp,arr )








ジャズ雑感/あけましておめでとうございます。

自然災害の報道に明け暮れた2011年。
2012年は災害のない、安泰な年にしたいものです。

ひとたび日本と世界に目を向けてみると、政治世界ではどの国も
混沌としています。

日本は特に混沌として、近々解散総選挙の話まででています。
先の見えない現代ですが、古きを知り新しいものに今年も挑戦していきたく思います。

国の混沌は文化にまで及び田舎の一地方都市、旭川でも混沌としています。
しかし、進む道は悩まずともあるような気もしています。

歴史は繰り返されると言いますから、しっかり古きものの検証をしていきたいと
おもいます。

2012年新春

日本初めてのジャズ教則本より


プロフィール

jazzmonth3567

Author:jazzmonth3567
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