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和製ジャズ温故知新.9/戦後ジャズブーム

戦後の日本に空前のジャズブームがやってくる。
1952年から55年の頃である。
1945年の終戦以来多くのジャズバンドが誕生した。
それを後押しするように、52年ジン・クルーパトリオが来日する。
ジン・クルーパといえばベニーグットマン。といえば、シング・シング・シング
といえば、ジン・クルーパというほどジャズファンの身ならず一般にも知られた
存在である。 盛り上がらないはずはない。
もう一つ後押しをしたのが、53年にノーマン・グランツ率いる
この時は、オープンカーで銀座をパレードしたらしい。
来日メンバーは
◎ロイ・エルドリッジ(TP)
◎チャーリー・シェイヴァース(TP)
◎ビル・ハリス(TB)
◎ウイリー・スミス(AS)
◎ベニー・カーター(AS)
◎フリップ・フィリップス(TS)
◎ベン・ウェブスター(TS)
◎オスカー・ピーターソン(P)
◎ハーブ・エリス(G)
◎レイ・ブラウン(B)
◎J.C.ハード(DS)
◎レイモンド・チュニア(P)
◎ジーン・クルーパ(DS)
◎エラ・フィッツジェラルド(VO)
このメンバーを見たら銀座のパレードもうなずける。
そして、だめ押しに同年ルイ・アーム・ストロング・オールスターズが来日し
ミュージシャン、ジャズファンにジャズの本場の圧倒的なパワーを見せつけ
大きなインパクトを与えジャズ・ブームに拍車をかけた。
日本最高の人気グループだったジョージ川口とビックフォー。
ジョージ川口(ドラム)中村八代(ピアノ)小野満(ベース)松本英彦(サックス)
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テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.8/ジャズとGHQ

戦後から2年後の1947年GHQ終戦連絡中央事務局の要請で、『日本ミュージシャンズ・ユニオン』
が結成される。 この年ジャズ雑誌スイングジャーナルが創刊される。(現在廃刊) 
これは言ってみればバンドの格付け審査で、審査はGHQスペシャル・サービス
の立会いで、特別調達庁から委嘱された紙恭輔渡辺弘ディック・ミネ南里文雄らが行なう。
現在の渡辺プロダクションを始めとする戦後の芸能プロダクションの専属タレントの報酬制度は
、この格付け審査を踏襲したものである。

また、この時期非公式に日米親善を目的として、多くのダンスパーティーが開かれる。
このパーティーには、アメリカ側から占領政策の中枢を占める高官が、日本側からは皇族、
政財界の実力者が顔を揃える。 この政策のメッセンジャーをつとめたのが、渡辺 弘と
スターダスターズをはじめとするジャズメンたちである。
戦後占領軍の力で発展しようとしたジャズバンドは、その代償として占領政策の忠実な
メッセンジャーを務めることになるのである。
このことが、後にアメリカナイズの風潮として日本の上流階級を腐蝕し、庶民階級にも外国崇拝
舶来ブームの風潮を拡げていく。

その影響は日本社会に長く尾をひき、戦後の音楽芸能の世界にその後も深く広く根を張る
ことになる。

■演奏:渡辺弘&スターダスターズ ■編曲:黛敏郎

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.7/ナンシー梅木

終戦後、怒濤のように米国から入ってくるジャズの動きにつれて
戦後初のモダンジャズコンボ「飯山茂雄&ゲイセクステット」が
結成される。終戦から翌年の1946年のことである。
メンバーはフランシス・キーコ(Pf)、角田 孝(Gt)、レイモンド・コンテ(Cl)
飯山茂雄(Dr)。
フランシス・キーコ(Pf)、レイモンド・コンテ(Cl)はフィリピン出身のミュージシャンで
センスの良い演奏は日本のジャズ界に大きな影響を与えている。
角田 孝はいち早くモダンギターを身につけた名手、飯山茂雄はジーンクルーパ
スタイルからモダンドラムスタイルをいち早く叩いたドラマーである。
その他、最初のビ・パップ・バンドの一つと言われる松本伸とイチバン・オクテット
(後に秋吉敏子も参加)や長尾正士のビーバップ・エースが編成されたのも
昭和23年(1948年)のことである。

この時代星の数のように多くのグループとミュージシャンが登場するが、その中で
あまり聞かない名前にナンシー梅木(本名/梅木 美代志)がいる。

 ジャズヴォーカルで女優でもあった彼女は、40年代中から
 50年代日本と米国をまたにかけて活躍する。
 アニタ・オデイ似の声で歌うハスキーボイスはなかなか
 秀逸である。
 特に女優として日本人として初めて1957年ハリウッド
 映画「サヨナラ」でアカデミー賞助演女優賞を受けている。
 今で言う、国際派女優の走りである。
 
 なお、この年の助演男優賞にはやはり日本人の早川雪洲
(『戦場にかける橋)がノミネートされている。

そのように世界を股にかけて活躍をした彼女もまた、戦争の影響を大きく受けた一人で、
晩年はミズーリ州オーザックで静かに亡くなっている。

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

和製ジャズ温故知新.6/進駐軍JAZZ

1945年の終戦とともに、今まで敵性音楽として禁止されていたジャズ
が演奏されるようになる。

終戦とともにGHQ(連合国総司令部)の指導のもと、翌年から音楽放送も始まる。
ここが大事なところで、戦争に敗れた日本は米国の指導のもと、ジャズを始める
のである。
「ニュー・パシフィック・アワー」というタイトルで松本伸の率いる
「ニューパシフィック楽団」が登場する。この楽団には後に自分のバンドを
持って活躍した、渡辺 弘、菊池滋弥、谷口又士、飯山茂雄、ジミー原田
森山 久等そうそうたるプレイヤーで編成されていた。
このメンバーはいずれも戦前、戦中を通じスタープレイヤーとして名を馳せた
メンバーばかりである。
この当時の多くのメンバーは、軍楽隊出身でクラシックやマーチをたたき込まれた
腕をジャズに切り替えて演奏を始める。
軍楽隊出身には、シャープ・アンド・フラットの原信夫、ニューハードの宮間利之等
のビックバンドのリーダーをはじめ、テナーサックスの尾田悟、トランペットの松本文男、
サックスの宮澤昭がいる。
このグループ(アズマニアン)にはジョージ川口、松本文雄(ミュージックメーカーのリーダー)
南里文雄等も参加している。

当時は日本のレコード会社はジャズやポピュラーの輸入盤の発売をGHQより規制され、
進駐軍のラジオからのジャズ、ポピュラー・ソングやダンス・ミュージックは
聴くことは出来ても、闇取引以外に外国のレコードの入手は困難で、進駐軍の
キャンプや許可された劇場以外の場所での外国ポップスを演奏したり、唄う事は
禁じられていたのである。

そのようなことで、もっぱら進駐軍の基地の中のクラブでジャズは演奏され、
東京、新宿、立川、横浜等、キャンプ地の駅周辺には米軍キャンプの仕事を求めて
ジャズメンが集合する。
その中には、ジョージ川口(ドラムス)、世良譲(ピアノ)、松本英彦(テナーサックス)
鈴木章治(クラリネット)笈田敏夫、ペギー葉山、ナンシー梅木、江利ちえみ、雪村いずみ、
伊東ゆかり、フランク永井等、皆駐留軍のキャンプ廻りから育ってゆく。
この時期、米国ではビーバップ全盛の時代だが戦争で鎖国をしていた日本には
新しいジャズの息吹は入ってきていない。

こうして戦後のジャズ・シーンの幕が開いてゆく。

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和製ジャズ温故知新.5/音楽の鎖国

日本では音楽の鎖国という時期がある。

1940年~1945年(終戦)までである。
正確には、1942年から1945年までである。

この時期、政府情報局を通じ、以下のような文が発せられる。
「大東亜戦争(太平洋戦争のこと)もいよいよ第二年を迎え、今や国を挙げてその総力を
米英撃滅の一点に集中し、是が非でもこの一戦を勝ち抜かねばならぬ決戦の年となりました。
大東亜戦争は、単に武力戦であるばかりでなく、文化、思想その他の前面に至るものであって
、特に米英思想の撃滅が一切の根本であることを思いますと、文化の主要な一部門である
音楽部門での米英色を断固として一掃する必要のあることは申すまでもありません」

簡単に言うと、戦争も終盤にかかり戦局が悪いので総力戦のため、文化、特に音楽の
規制をする、というもの。

さらに、
「演奏を不適当と認める米英音楽作品蓄音機レコード一覧表を作って、全国の関係者に
配布し、米英音楽を国内から一掃し、国民の士気の昂揚と、健全娯楽の発展を促進する
ことになりました」


特に敵国の米英音楽を規制するというものである。
クラシック音楽はドイツ、イタリアも同盟国なので除外されたらしい。
そして、
米英系音楽としてわが国に輸入され、また最も多く一般になじまれたものは、なんと
言ってもいわゆるジャズ音楽と民謡調の歌曲とであります。
しかし米国系音楽の代表とみられるジャズや、これに類する軽音楽の大部分は、卑俗低調で
、退廃的、煽情的、喧騒的なものであって、文化的にも少しの価値もないものでありますから、
この機会にこれを一掃することは極めて適切であり、また絶対に必要なことであります」
米英音楽特にジャズ音楽は価値のないものなので、特に規制をするというもの。

規制のリストが以下である。
「ダイナ」「私の青空」「アラビヤの唄」に代表されるジャズ音楽、「ロンドン・デリー」
「麦畑」「ヤンキー・ドゥードル」「アニー・ローリー」「アメリカン・パトロール」
「懐かしのケンタッキー」「オールド・ブラック・ジョー」「スワニー河」
「ラプソディ・イン・ブルー」「峠の我が家」「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」
「月光価千金」「セントルイス・ブルース」「南京豆売」「アロハ・オエ」その他
何ともジャズは例に及ばず、ラテン音楽、ハワイアンまで入っている。
この規制は終戦まで続くが、その後反動のようにジャズ音楽のブームが
やってくる。
なんでもありの現代からは想像できない世界の事であるが、
60数年前の日本の事である。

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