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ジャズマンス温故知新 その.4//2003〜2005

 その4となる温故知新は2003年から2005年迄。

2006年は世界最大のジャズ教育教会(IAJE)のトップ3
を招いて行われた。
そのトップは何と行っても、リチャード・ダンスカム氏。
日本で知らない人がほとんどだが、米国ジャズ教育に関わっていて
知らない人はまずいない。
03.08 のコピー
この方の推薦もあり、ジュニアジャズはニューヨーク招待公演
を行った。
そのIAJEジャズコンファレンスは、ジャズの事に限っては何でもある
巨大な見本市みたいなもの。何とも想像を遥かに超えた規模だ。
そんなIAJEだが現在はなくなってしまった。
規模が大きくなりすぎたとの話もある。

2004年は巨匠エド・シグペンを招いての開催。
オスカーピーターソントリオのシグペン氏は
何度聞いた事だろう。
我が青春のレジェンドだ。
来日時は、最晩年。
力は衰えていたが、他を圧倒するブラシワークは健在。
これには何とも感動した。
04.06 のコピー
2005年。この年はサミーネスティコの年。
ビックバンドを経験した人間でネスティコ氏を
知らない人はまずいない。
2004年ジュニアジャズがニューヨーク招待公演を
行ったおかげで、ネスティコ氏とつながり、ジャズマンス
への参加となった。
来旭期間の1週間、夢の様な時間を過ごした。
この後、もう一度と思いオファーしているが、
高齢のため実現していない。
05.09 のコピー
それはそうだ。来旭時83歳。現在93歳でまだ現役。
本当に素晴らしい。

いつまでも現役でいて欲しい。

2006年に続く。











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ジャズマンス温故知新 その.3//1999〜2002

1999年ジャズマンスも始めて早、5周年。
5年目には多彩なゲストでお祝いをした。
この面々を見たら、よくまあ・・こんなに集まった感じです。
2015年の今ではみんなが、スーパーな活動をしている面々ばかり。
この年始めて、ジャズマンスにエリック宮城登場!
9901.jpg
2000年、時代は21世紀に入る。
考えてみたらジャズマンスは20世紀末から21世紀初頭にかけて
行ったことが、妙な意味がある気がする。
その年1年をかけて、米国ボストンから自閉症児のビックバンド
を招聘した。このバンドは腰が抜ける程ビックリ。
上手い下手でいえば、下手。しかし、驚くのはエリントンサウンド
がしている。ジュニアジャズとは何か大人と子供。
何だろうか。この違い。ジャズの本場うんうんの他に、何か
大きな違いがある。・・・。
2000-1.jpg
2000-2.jpg
2001年、昨年初登場の椎名豊を中心に、強力なリズムセクション
を迎えて行った『ルーツオブジャズVo.1』
ベースのレジナルド・ビールの強力なこと。
笑ってしまう程、強力。そして柔軟、繊細、豪快なんでもあり。
脱帽だ。
2001-1.jpg
2002年『ルーツオブジャズVo.2』
エリック宮城が自己のバンド『EMバンド』を引き連れてこの旭川に
初登場。
まあ、音の良く鳴ること、鳴る事。笑ってしまう程、鳴ります。
ビックバンドの豪快さと楽しさを存分に味わった年でした。
2002-1.jpg
2003年に続く。 

ジャズマンス温故知新 その.2/1995〜1998

 1995年に始めたジャズマンスイン旭川(ジャズマンス)
何と行ってもこの年の画期的だった事は、あのゲイリーバートン
が1ヶ月旭川に滞在したことだ。
ゲイリーはもうすでに、巨匠レジェンドの仲間入りをしている。
その1ヶ月滞在の最終日クリスタルホール音楽堂でコンサートが
行われた。TPタイガー大越、PFフェビアン・レザ・パネ
そのコンサートは色々な意味で、後に重要なコンサート
となる。
9504.jpg
96年のハイライトは何と行っても『自閉症児の音楽教室』
あのゲイリーバートンも参加。教室の最終日、集合写真を撮り
子ども達にもみくしゃにされながら、涙をぽろぽろ流していた
ゲイリーが懐かしい。この画期的な音楽教室は現在でもスモールワールド
として続いている。
9601.jpg
97年小曽根真が弦楽四重奏の為の曲を書く。
当時バークリー音楽大学を出たばかり、新進気鋭の
小曽根真に委嘱し、実現したもの。
その後、彼は作曲を本格的に勉強するため、イーストマン音楽院
に留学。その後は知っての通り、日本の代表するピアニストに。
写真はクリスタル公演のもの。
9711.jpg
98年、4年間温めて来た企画『JMIAジュニア・ジャズオーケストラ』
を結成する。このオーケストラは小中学生63名。
何でこんなに多いのかというと、オーディションをしなかったからだ。
『音楽をやりたい気持ちに優劣はない』との判断でこうなったが、
日本で誰もやっていない63名のジュニアジャズをやったお陰で、
多少の事に動じなくなった。
慣れとは怖いものだ。
今は皆さんレジェンドとなったゲストの皆さん、本当に若い。
9808JJOコンサート
99年に続く





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ジャズマンス温故知新 その.1/ジャズマンス前夜

今年で20年の活動に幕を下ろすジャズマンス・イン・旭川(ジャズマンス)。
山あり谷ありのJMIAだったが、20年間あらゆる企画を多方面に発信し続けた
軌跡を数回にまとめて語る、ジャズマンス温故知新。

ジャズマンスは1995年に始まるが、正確には前年1994年から
始まっていると言っても良いだろう。
1994年その年、20年ぶりというチックコリアとゲイリーバートン
のDUOコンサートが、この旭川で開催された。
全国公演ではなく、旭川のみで行われたのである。
彼らは『クリスタルサイレンス』と言う歴史的名盤を残している。
94.チック&ゲイリー.1

2人ともジャズ界を背負っているレジェンド。
そんな事がどうして可能なのかは、その後のジャズマンス
につながって行く。

日本公演に来ていたチック、ボストンから1日のコンサートの為
来日したゲイリー。これを可能にしたのは、2名。
小高氏(チックの日本窓口代表)とジャズマンス代表村田和子。
チックのオフ日(2日)を利用して、旭川のみでゲイリーとランデブーという
非常に危ない計画だ。何かがトラブれば、チックの公演に穴が空き大損害。
そんなリスクをしょって小高氏が決断してくれたのである。

何でか聞いたが『クリスタルホールがあって、クリスタルサイレンス、
これは何かの巡り合わせ、やらないとダメでしょう』
という。 その後もジャズマンスで小高氏にお世話になるが、
今はない海外タレント招聘大手の「カンバラミュージック」を背負っていた人である。
彼は数々の海外演奏家を招聘して来たその道のプロ中のプロである。

80年代から90年代にかけてジャズフェスティバルが山ほど行われて
いたが、その流れを作ったのも小高氏である。
氏は『マウントフジジャズフェスティバル』等様々な
仕掛けを作った張本人である。

11月のもう雪が降ろうかと言う寒い日、リハーサル、本番と自分も
同行した。その時チック、ゲイリーに会ったのは初めてだ。
あのリターントゥフォーエバーとラ・フェスタのチックだ!。
94.チック&ゲイリー.3
リハーサルから音楽堂の会場で聞いたが、2人とも20年ぶりとは
思えないテンションの高さ。これが、世界の最高峰かと唖然とする。
94.チック&ゲイリー.4
コンサートは全国から情報をつかんだファンで超満員だ。
チックの配慮でステージ上まで人がいる。
自分は主催者の一人だが、コンサートが始まるとただの一人のファンである。
もう、名曲の数々。アンコールの『ラ・フェスタ』には聴衆みんなが
泣いた。何だろうこの気持ち、雰囲気、感動。
94.チック&ゲイリー.2
その時もらった感動が次のジャズマンス初年に繋がって行く。

次回へ。








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